イヤホンとレポート
イヤホンを耳にさしても音楽を流さない、という意味の分からないことをたまにする時がある。
決して自覚がない。イヤホンを耳につけるまでは、音楽を聴こうという意思に基づいてそこにたどりつくが、いざイヤホンが耳にささると満足してしまう。
イヤホンが用意した限りの無音状態という風呂に浸かり、そこから何もアクションを起こそうとしないのは、滑稽である。
無音がいいなら耳栓をつければいいじゃないか、という話なんだが、耳栓は完璧に無音空間を作り出してしまうために、私は心底それが嫌いである。
もっとも、耳栓というものに触れたことがない生活だったので、嫌いもへったくれもないのではあるが。
なにか新しいことに挑戦しようと道具をそろえて中途半端な状態で満足、というのは他の人にも結構あり得ることなんじゃないかと思う。
何もしないまま満足、ということは少なそうだ。多分大抵は時間がなかったか、一度挑戦してそこで満足して終わるケースだと思う。
意識的に何もしないことと、何もできないことは全く違う。
言いたい事はなんだ、と思うのであれば、十中八九この時期の大学生なら分かるであろう。レポートをやらねばならないのである。
終わらないものがある中でまた新しく何かを始めるのは可能だが、始まらないことには終わりは存在しないのである。
つまり、レポートを終わらせるためには、始めなきゃならんのである。
論ずるは軽し。取り組め。