毎日「しんどい」と思っている人たちへ
分かる。しんどいな、毎日。
そんなしんどい人たちのために、僕の無い文才を振り絞ってみよう。読み終わった時にため息でもついてみるといい。この文章は、読み終わって気持ちがすぐにスッキリするような特効薬でもないし、飲み続ければじわじわと効いてくる漢方でもない。読んだところで何も変わらない、ただ死ぬまでの時間稼ぎだと思ってくれ。
では諸君、しばし時間を拝借。
いきなりだが「くそくらえ」という言葉は汚いが便利だと思う。むかつくことはもちろん、なんでもないことにも「くそくらえ(もしくはむかつく)」って頭の中で唱えてみる。
インターンシップなんてくそくらえだ。授業なんてくそくらえだ。学校も、社会も、電車も、人間関係も、恋愛もくそくらえだ。星が今日はあんまり見えないからむかつく。半袖だと帰り道は寒いからむかつく。新しい服を買わなくちゃいけないからむかつく。いっぱい歩いて足が臭いからむかつく。意味もなくあらゆるものに罵倒して気が済んだら、そこからは好きにすればいい。ただ、あんまりむかつくばっかり言ってると本当にむかついてくるかもしれないし、くそくらえが口癖になるかもしれないので、それは気をつける。
この世の9割は「なんとなく」で出来ている気がするし、きっとそういうことにしとけば楽なんだろう。
なんとなく宇宙があったんだろうし、なんとなく1日は24時間になった。なんとなく電車がやって来て、なんとなく学校に行っている。なんとなく授業を受けて、なんとなく眠たくてなんとなくめんどくさいなんて思う。友達と喋って笑う理由もなんとなくだし、好きな人ができるのもなんとなくだ。つらいのもしんどいのもなんとなくだ。
毎日生きることに明確な理由が必要だろうか。理由があることは素晴らしいと思うが、理由がないことが否定されてはいけないと思う。なんとなくでいい。今日はしんどいなぁって思うのもなんとなくだし、何がいけないとかそういうことがはっきり分かっているなら、そこまでしんどい思いをすることもないだろう。理由が分かっていても解決できないのもなんとなくってことにしよう。
考えることは面倒くさい。毎日生きる理由は特になくてもいいはずだ。アフリカのサバンナのライオンに誰か明日の予定を聞いてみればいい。アフリカに知り合いでもいれば、聞いておくけどあいにく一人もいないもんでね。アフリカまでの往復の費用は負担しないし、実際予定があろうがなかろうが話の通じる相手ではないと思う。
自己啓発本を読んで感化されるのは人の勝手だが、他人に生き方を押し付けられる筋合いはないと思う。この世は必然か偶然か、ってことをずっと考えているなら、まあ落ち着いてドーナツを食べよう。どちらにしても、今友達としていてくれている人が自分の友達なんだから。先のことを考えても、どうしようもないことはどうしようもない。
ここまでで気づいたと思うけど、オチも用意していないし、これを読んで得られることも何もない。期待していたなら残念でした。僕も自分が何を書いているのか、全く分かりません。
ちょっとここらへんでゆっくり深呼吸してみなよ。案外、深呼吸って大事なのに、誰一人日々実践しているように思えないからね。どう?気分マシになった?
しんどいのは変わらないだろう。死にたい気持ちもめんどくさい気持ちも解決しなかっただろう。前置きにあるとおり、文字の羅列だから。
時間の無駄遣い。読んでから「なんだこれ、本当に無駄な時間過ごしたな、最悪」って人がいるかと思うけど、安心してくれ。僕もこれを書く時間をもっと別のことに費やせばよかったと思った。
何も起こらなかったけど、えーっと、まあそんなわけで、明日も何かしら頑張らなくちゃいけないし、じゃあね、とりあえずバイバイ。またあした。