さよならブログ。

まだ何もない。

映画『ひとひら』を観て。

映画『ひとひら』を観た。

 

 

 

吉田監督がエゴサーチをするというので「届けばいいな」と思いここに書く。

 

 

 

 

 

この映画を観たいと思ったきっかけは忘れた。芋生悠さんと青木柚くんというキャスティングがあったから、Twitterをフォローされていたから、たまたま学校帰りに立ち寄れる場所だったから、監督が同い年だから、とか色々あった気がする。

 

 

 

吉田監督が大学の授業でやったことのただの発表会といえば安っぽくなるけど、吉田さんにとっては思い入れのとても強いものだと思う。そして、僕にとっては初めての「試写会」という経験で、しかも今までテレビやスマホの画面越しに媒体を通して見ていた人にお会いする、ということも初めてだった。だから、僕にはとても忘れられない時間になった。これからしばらくは思い出して、感傷に浸っているのだろうと思う。

吉田さんにとっては、大阪で会った同学年の1人で、ただ自分の作品を観に来てくれた人たちの1人かもしれない。芋生さんだって、たくさんのファンの中にいる1人としかきっと思わないんだろうけれど、僕にとっては最高密度の時間だった。

 

 

 

 

 

作品について感想を書き記しておきたいのだけれど、恐れ多いのと、書いているとちっぽけで迷子になってしまうから、うまく書けない。だから思った事だけを書く。例えそれが正解じゃなくても。

 

 

 

芋生さんの目がよかった。僕はあの人の右目がずっと好きだ。人を殺したことがあるかどうかは目で分かる、とよく言うけれど、あの目は感情そのものになる。笑うと細くなり、怒ると殺気立って黒目がぐんぐんと小さくなる。それも殺意に近い。あの目を持っている人をほとんど見たことがない。

 

あの映画をいずみに見せたらどうなるだろうとずっと終わった後で考えていた。いずみは『ひとひら』を観て、笑うだろうか。キレるだろうか。泣くだろうか。

いずみはなんとなく静かに怒る気がする。いずみに「あなたがモデルなんだよ」って教えたら彼女はきっと喜びはしない。笑いはしない。くやしさで固まって、ぐっと溜めて、頭の奥で何かが切れて、いずみにとってはそういう映画になる、と思うし、そうじゃない?と芋生さんや吉田監督や町田監督たちに確認したい。

 

吉田監督は同級生にあたる。だからその分、自分と生きてきた年数が変わらない人間が何をどう描くのだろうか、とかそういうことが気になって仕方が無かった。吉田さんは、あの作品に今まで考えていたことを落とし込んで、放置するでもなく、映画という形を与えてどこかに置いてやろうと思ったんじゃないだろうか。そう思っていなくても、少なくともそういうことになったと思う。「さかいめについてずっと考えていた」と吉田さんが言っているの聞いて、自分と一緒だと思った。そうしてその境目を生きているのが20歳になる芋生さんで、まだ迎えていないかもしれないのが柚くんだ。だからあの空間自体が感慨深かった。この世界はこうやって会えてよかったなって思う人が増えていくシステムらしい。

 

 

 

 

 

映画が始まって、いずみと芋生さんがだんだんと重なってひとつになる。いずみは女がきらい、とかじゃないんだと思う。かっこいい女の人が周りにいなかっただけで、自分がいつか大人になれば女になってしまうのだろうか、とかそういうことに不安を覚えて、駅で絡まれている女やその絡んでいる男を蔑む目で見たりする。設定は中学生で、一番不安定な時期だ。もっぱら僕はいつまでも不安定だけれど、だからこそ、いずみの気持ちがくるしいほど分かる。本当は男になりたいとかじゃなくて、気持ち悪いものになっていくのが嫌なんだと思う。性別なんてくそくらえだ。

 

ようちゃんはひきょうだ。

そして、自分がひきょうだということをようちゃん自身もきっと分かっているんだろうと思う。すきな人にふれたい。男の子の目線。手で触ることができなくても、目で肌をなぞるところとか、そこをちゃんと描いたのがよかった。

「さわりたいって思ってたらどうする?」って言ってようちゃんは本来の自分になった。男の人からすると、あれは好きな子に言ってはいけないセリフなんだけれど、もう尽きかけた状態で、ああ言うしかない。セリフを削りに削ったらしいけど、あれはきっとどうしても残そうとしたんだろうなって思った。

ようちゃんがベンチでうなだれるいずみのスカートのポケットからそっと口紅を取る仕草。あれがとても良い。個人的な話だけれど、同い年の学校の女の子からセーラー服を着せられた経験があって、だからセーラー服のスカートにはポケットがあることも知っているし、あのようちゃんのいずみに触れまいと気遣っている指がとても分かる。

メインは芋生さんで、基本的にヒロインのいずみの視点から描かれているけれど、ちらほらと観ている人が男になれる瞬間があって、そういう意味で青木柚くんでよかったと思った。今のところ、それ以外のキャストが思い当たらない。

(よっちゃんだったかようちゃんだったか忘れたから、よっちゃんと呼ぶ)

(ようちゃんが台本通りらしく、密かに訂正した)

 

 

 

駅のトイレで自分と向き合ういずみのシーンが一番のお気に入りになった。

いずみの目が豹変して、もう今までのままじゃいられないのかもしれないと焦る顔、ようちゃんの言ったことに頭がまっしろになっていく顔、矛先の向けようがない怒り、どうしようもない悔しさ、信じてきたはずだったのに裏切られたんだろうか自分は、とコロコロと変わっていく。ギュンギュンと音は聞こえなくても、いずみの目はしずかに唸っていて、見ているとそう聞こえてくる気がする。芋生さんの真骨頂を見た。

僕の中でお気に入りのシーンとなったと同時に、これはきっと制作者側も本気で取り組んだんだと伝わった。映画を観続けて、このシーンを迎えるまであまり意識していなかったけれど、これは制作者たちが(とりわけ監督が)、命を削って作っている、誰も手を抜いていないと思った。

「だって美しいから」の言葉。それがあの時のいずみの答えだった。

 

 

監督は「かなしいエンディング」と言っていて、たしかに客観的に見れば悲しい終わり方だったけれど、あれを観終わった時にどこか落ち着いた自分がいて、そうかこれで終わっていくんだろうかって腑に落ちた自分がいた。あの2人は高校が一緒になるのか、一緒になったとしてもこれからも友だちでいられるのだろうか、とか色んなことを監督から訊いてみたくもあったし、どうなんだろうってファミレスのドリンクバーで議論してみたかった。

 

愛をひけらかしたメイキングも、特別公開の旧稿の映像も、とてもよかった。

旧稿で描こうとしているいずみたちの姿もよかったけれど、本稿の方が僕は好きだ。いずみには芯があって、旧稿のごちゃごちゃとした雑味が消えて、洗練されたなって思った。路線の問題も(僕は路線マスターじゃないけれど)、小ネタとして好きだった。

 

 

 

 

 

境目ってどこだろう。大人と子供って比較すれば違いはたくさん言えるけど、正解は誰も教えてくれない。きたないものに対する反発心は、やがて無垢を追い求める力になって、もがいてもがいて、勝手に苦しんでいる。多かれ少なかれ、成長が遅い奴とか溝をうまく飛び越えられない奴が必ずいて、いずみは成長が遅かったわけじゃない。ただ他人があんまり考えていなかったことがいずみにとってはとても気になることだったのかもしれない。そういう人なんだと思った。

 

 

 

結果的に、この映画は「なりたくないものになっていく感覚」を描いていて、それが分からない人は絶対にいるし、ましてや早く大人になりたいなって思っている奴には見てほしくない。この映画の結末なんて、ちっとも分かっちゃくれないだろうなって思うから。

 

 

 

 

ほんとはもっと書きたい事とかあるけれど、今日はここまでにする。

大好きな作品が増えたし、同い年の作る作品が観られて、僕には忘れられない瞬間だった。このときのことはきっと忘れない。ありがとう。

 

P.S. 芋生悠さんは遅かれ早かれきっと朝ドラに出るし、大物になった芋生ちゃん・吉田さん・くらもちさんの3人にまた会いたい。